さくぱんだの日常

さくぱんだの日常

日常のあれこれを振り返り、感じたことや考えたことを気ままに綴っています。

カタルシス

こんばんは。さくぱんだです。

今日は、昨日できなかった洗濯をいっぱいしました。気分もすっきりして、すごく気持ちがよかったです。実は、洗濯ってあんまり好きじゃないのですが、そんなふうに感じられるようになったのは、だいぶ心が回復に向かっている兆しのようにも思います。なぜ洗濯が好きな家事ランキングの中で最下位なのかというと、他のものに比べて圧倒的に工程が多いからです。自分は面倒くさがりさんなので、家事をするときには“できるだけ効率や導線を考えて動く”ように気を付けています。例えば、掃除だと[拭く][捨てる]の2工程で、お部屋の中はだいたいキレイになります。料理は、そんなに凝ったメニューでなければ[切る][焼く][煮る]のどれかで食べられるものを完成させることができます。洗い物は、その気になれば[洗う]だけで終わっちゃいます。こうして挙げてみても、洗濯は[回す][取り出す][干す][取り込む][畳む][しまう]という工程の数が本当にたくさんあることが分かって、やっぱり苦手だなぁと思いました。

さて、今日は図書館に行って5冊ほど本を借りました。そのうちのある1冊の本文にカタルシス効果」というワードが出てきて、ちょっと気になったので調べてみることにしました。ちなみに、それは『つい心がかたくなになったとき読む本』というタイトルです。

つい心がかたくなになったとき読む本

つい心がかたくなになったとき読む本

カタルシスとは「心の中に溜め込んだ不安やストレス、葛藤といったモヤモヤやイライラを吐き出すことで心が軽くなること」のようで、ギリシャ語で魂や精神の「浄化」を意味する言葉だそうです。自分は、この本を読んでいてその単語を見つけたとき、真っ先にこのブログが思い浮かびました。自分の過去や日常を振り返って文章を綴ることは、自分にとってまさにカタルシス効果そのものだと感じて、「そんな意味があるんだ!」とちょっと感動もしました。本文では、このことについてあまり深く掘り下げているわけではないのですが、心理学やカウンセリングの世界で一般的に使われる用語の1つとして紹介されていました。個人的に、この「カタルシス」という言葉はとても気に入っています。洗濯をするということも、カタルシス効果を得られるかもしれないと思えば、なんだか好きになれそうな気がしています。

自分は、どこにいっても誰かの悪口や噂話に全然興味がなく、どちらかというと聞き役になることのほうが多かったと記憶しています。「う~ん、そうですねぇ」と相槌を打ちつつ、内心は「もうちょっと何か楽しいお話がしたいなぁ」とか「この人は何で他人のことばっかり言ってるんだろう?」とかちょっと冷めた気持ちでいて、かといって話題をぐるっと変えたり、ストレートに批判したりすることもできなくて、そういうシーンではとても苦しいと感じるようなタイプでした。きっと、そうやってなんとなく話を合わせて、いちいち反応をすることさえもストレスになっていたのかなと思います。何より、1番怖いと感じたのはストレスが溜まっていることに“自分で気付いていない”ということです。かつての自分は、何でもじっと我慢、我慢、我慢の連続でした。誰かがポイっと吐き出しているものをなぜかゴミ箱みたいにごっそり受け止める役回りになっていて、どうやら周りからは話しやすい人だと思われていたのかもしれないと分析しています。そして、自分の中に溜まってきたそのゴミ山をどうにかしようという発想もなく方法も知らず、別の何かハッピーなものを上乗せして帳消しにしようとして、結果的に頭も心もいろんなマイナスとプラスでいっぱいいっぱいになってしまうという状態に陥りました。まさに「塵も積もれば山となる」という言葉がぴったりで、大きな山になって崩れ落ちてしまうのはとっても悲しいことだなとも思っています。最近は、こうしたトラブルへの対処もようやくちょっとずつできるようになっていて、「あ~今しんどくなっているな、誰かに聞いてもらおう!」と自分以外の第三者にSOSを求めるようにしています。

今日のテーマは、図らずも前置きの内容となんだかうまくまとまった気がして、座布団1枚くらいだったらあげてもいいかな?なんて思っています。文章を書くことってすごく面白くて、とっても楽しい気持ちになります。カタルシス!!!


最後まで読んでくださって、ありがとうございました♪