さくぱんだの日常

日常のあんなことやこんなことを振り返り、自信を取り戻したい人へ向けてメッセージを綴っています。

生い立ち〈社会人編〉

こんばんは。さくぱんだです。

今日は、ほろっとくる出来事があって、なぜか1時間くらいずっと涙が止まりませんでした。調べてみると、涙を流すことはストレス解消になる、泣ける人=ストレスを解消しやすい人だという記事がありました。「え!そうなんだ!?」と意外な事実に驚きつつ、やっぱり涙は全然止まってくれなくて、仕方なくベッドに横になってお布団にくるまっていたら、知らない間に眠ってしまっていました。目が覚めるとスッキリしたみたいで、少し落ち着いてきて、今日はなんだか情動が忙しくて疲れてしまったなと感じてちょっとしょんぼりした気持ちになりました。きっと、就職活動がうまくいっていないことで、ストレスが溜まっているのかなとも思います。すごく辛いですが、前向きに前向きに、頭の中で「大丈夫」を唱える毎日です。

今回は〈社会人編〉ということで、これまでの生い立ちの振り返りについてはいよいよ最終話となります。ここ最近の5年間(といってもほとんどは就職してからの1年間)に起きた出来事についてお話しします。大人しい小学生、暗黒の中学生、輝かしい高校生、なんとか頑張っていた大学生、とそれぞれの時代を乗り越えて、社会人として働きに出た自分は、看護師として就職して3か月ほど経ったときに1度目のうつを発症しました。人生の中で、中学の時にいじめを受けたことが最初の負の体験だとしたら、就職に失敗してしまったことは2番目にして過去最低の大きな挫折だと捉えています。

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【さくぱんだの人生をグラフにしてみた】

 

大学卒業後、看護師として神奈川にある大きなリハビリ病院に就職しました。実は、神奈川という場所を選んだのは「憧れの横浜に住みたい!」という不純(?)な動機でした。ただ、それだけではなくて「自分のことを誰も知らないところでやっていけるのかチャレンジしたい!」という気持ちと「できるだけ実家から離れたところで自分の力で生きていきたい。」という思いがとても強くて、親元を離れて関東へ出るということは自分にとってすごく大きな挑戦でもありました。病院が所有している寮に入り、生まれて初めての1人暮らしがスタートしました。完璧主義で全てきちんとしなきゃ!と奮闘していた自分は、何でもルールを作ってその通りにしようとするくせが抜けていないまま、毎日の仕事にも休日のお出かけにもいっぱいいっぱいでした。例えば、朝ご飯はバナナ1本・はちみつ大さじ1・ヨーグルト半分と決めて毎回計量したり、仕事の後には必ず予習復習をすると決めて夜遅くまで病院内の自習室に残ったり、お給料から毎月〇万円は貯金に回すと決めて1円単位で家計簿をつけてやりくりしたり、他にも書ききれないほどささいなことの一つ一つに独自のマイルールを設定していました。そうすると、余裕のあるうちはなんとかこなしていくことができるのですが、朝に白ご飯が食べたいなと思ったとき、今日は勉強するのがしんどいなと思ったとき、目標の金額を貯めるのが難しそうなとき、そんなふうにちょっとルールから逸れるような考えや行動が出てくると、それをどうしても許すことができなくて、自分で自分の首を絞めているとは気付かずにだんだんと苦しくなっていきました。自由を手に入れたはずなのになんだかとっても窮屈だなという感覚もあって、寮という環境が原因なんじゃないかと考えた自分は、病院の人(上司や総務の方)に一切相談をせず、1人で勝手に引っ越しをしてしまいました。

そんな暴挙に出たのはちょうど就職して3か月経った頃でした。仕事はというと、最初から毎日が本当に本当にしんどくて、バタバタと忙しい病棟や隣同士が密着するくらい狭い休憩室には全く慣れませんでした。前日患者さまに行うケアの予習をしては翌日先輩が張り付いて確認する、という作業の繰り返しで、どんなに勉強しても実際に患者さまを前にすると緊張してしまって全然うまくいかず、いつも頭の中は「いつまでたっても何もできなくて」「役立たずな新人で」「みんなに迷惑をかけて」本当に申し訳ない気持ちだけでいっぱいでした。家に帰っても仕事のことをぐるぐると考えてしまって、何もできずベッドに倒れこんでは出勤するのがやっとという日々が続きました。しだいに、口数が減っていく、笑顔がこわばる、夜眠れなくなる、肌荒れがひどくなる、ちゃんとした文字が書けなくなる、といった変化がみられるようになりました。当時、自分では自覚がなかったのですが、身体はサインをたくさん出すことで警告してくれていたんだなと思います。そして、寮を出て新しい家に住み始めた初日の夜、エネルギーがすっかり尽きてしまったのか一時的に幻覚や幻聴といった症状が出現して、自分を保つことができなくなりました。その翌日から休職をして、眠ること、食べること、お風呂に入ること、そんなことから少しずつ取り戻すことになりました。当時、お世話になった看護部長さんからは、「このまま身寄りも知り合いもいない土地で治療をしながら働くことは危険だし、看護師は愛媛に帰ってもどこでもできるからね。」という言葉をもらい、目先のことも将来のことも自分のことのように親身に考えてくださっていたんだなと、改めて感謝の気持ちでいっぱいになります。

休職期間を終えて、退職することになった自分は「挑戦してみたけどダメだった。」という失敗体験から絶望感に満ちていて、途方に暮れていました。地元に帰ってきてからは、緑に囲まれた精神科の病院で2週間ほど療養したり、大嫌いなお薬を飲みながら通院したり、美術館で働き始めるまでには半年かかりました。その後、週3~4のペースを週5に増やし、徐々に働くことに身体を慣らしていきました。事務系のお仕事は、自分に合っているように感じていましたが、2年という任期が決まっていることと自分の経験を活かして同じように苦しんでいる人を応援したいと思い、再び就職活動をすることにしました。そんな中で、就労支援施設の職業指導員というお仕事に巡り合い、やりがいも感じながら利用者の方とたくさんの時間を過ごしましたが、人間関係の悪化によって2度目のうつを発症してしまいました。人が入れ替わるたびに居心地が悪くなっていって、どんどんとエネルギーが減っていき、自分の中に黒いうずうずとしたもやもやが広がっていくように感じて、福祉のお仕事を続けたいという気持ちとは裏腹にその職場を辞めることにしました。

 

かなり長くなってしまい、前半と後半に分ければよかったかなとちょっと後悔しています。少し時間はかかりましたが、5部にわたるさくぱんだの生い立ちについてなんとかまとめ終えることができました。終盤のあたりは駆け足になってしまいましたが、これにて振り返りの作業は終了です。自分の文章に☆まで押してくださる方がいるのがとても嬉しく、すごく励みになります。不思議なもので、始める前は「なんか緊張するなぁ」だったのが「ブログってなんかいいなぁ」に変わって、やってみてよかったなとしみじみ感じています。次回以降はその日の出来事だったり、好きなものやことについてもちょこっと書いてみようかなと思っています。

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございました♪